売れるお店の心理学

売れるお店の心理学(3)

宗教用語に「布施」と言う言葉がある。お布施と言うと一般的には寄付金、上納金、献金等、金銭的に用いられているが、本来布施とは非常に幅広い修道を意味し、行動とそれに伴う精神的内面双方を両立させ、人との調和を通し他人にも影響を与える基本的要素である。
布施には「十布施」があり、一つ一つに人としての有り方を意味したものであり、単に金銭的な狭い範囲ではない。
では、布施の項目を述べてみよう。
「笑施」「眼施」「言施」「聞施」「身施(動施とも言う)」「文施」「座施」「心施」「私施」「無畏私」
の十施を言う。
 布施とは衆生に対しどれだけの貢献、奉仕、犠牲、を提供できるか、世の人々の為にどれだけの事が出来るかであり、十施とは最も崇高な人格を養う基本と成る行為行動である。
 この十施はビジネス界においても、一般生活においても、人間関係において重要な要素を含み、常に活用できる物でもある。

さて、ビジネスにおいては全て人間同士であり、人の心理が重要であって物は人間同士の中間に位置する一つの「物」でしかない。
人の心理を得るには「施」。どれだけの奉仕ができるかにかかっている。つまり、義務的ではなくお客様に対し、心から奉仕する意念を表現できるかであり、和を重んじる要素である。
「笑施」「眼施」「言施」「聞施」「身施」「文施」等を一つ一つ細部に渡りメンタルな部分をも説明するには非常に困難な学問となるが、お客様に対し心から感謝の念を抱いていれば自動的に行なえる事柄であり、身外的表現である。
「座施」「心施」「私施」「無畏私」等は精神的意義の所在を表し、奢り高ぶりを排除し、人の為に心を砕き犠牲的精神で人に仕える。
この修練は一様ではなく対応は常に変化する。その変化を小手先ではなく誠心を持って対応する。これが修道であり最も尊い結果として現れる。

再びオートウエーブの広岡会長の言葉になるが、「10人十色、100人百様、千人、万人全て異なる。」と言われる。この異なったお客様に気に入って貰うためには、感謝の心と誠心で接し、いかなる犠牲も惜しまない対応が要求されると言う。すなわち「施」の精神を実戦指導する言葉である。
この精神、行動はお客様に対しての「布施」であり、同時の社員教育の一環でもある精神修道に繋がり、広岡会長の言葉一つ一つが社員全体に浸透し、知らず知らずの内に修道の世界を体験しながら成長しているのである。

例えば、他店でオーデオやカーナビを買って取付ける事が出来なくなり、オートウエーブに持ち込み取付けてもらう。
他店で買った物を取付けだけ請け負うことは、手間を考えると赤字になるかもしれないが、その仕事を喜んで受けてしまう。等々、一般的なお店では断られてしまうような仕事でも、オートウエーブは引き受けてしまう。
その理由は(物=金=利益)の経営方程式ではなく、(人=心=顧客)の継続的理論(広岡イズム)に基づき、他店とは方向性及び考え方の次元が異なっているのである。
これらの考え方も布施の理論から派生した行動であり、社員達は当たり前の行動として対応している。
これらのメカニズムを他社で見習おうとしても観念の相違であり、外見的に似せても受け手のお客様には通じる想念のエネルギー(波動)が不足している為に効果はないに等しい。
お客様満足度の追求といくら叫んでも、心に抱く意念の相違で業績に大きく影響するのである。
オートウエーブの会議や発表会毎に広岡会長が述べる言葉は真実のソフトであり、言葉の裏に隠された意味を深く理解できないと、お客様の心のひだに感応させる知恵は生まれない。

物も言いようで角が立ち、見て見ぬ振りが仇となり、馬の耳に念仏、等々「施」の無い感性ではお先真っ暗としか言いようがない。
自己の想念や感性を磨く上でも「施=ほどこし」の真髄を理解し、今ある観念にダウンロードしバージョンアップする事である。